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桜の見納@高野山と吉野



【明日香村。菜の花と桜の競演!色がかわいすぎです。】



【石舞台周辺の桜。色とりどりで目移りします。】



【里の風景たまらん〜菜の花と田圃のコンビネーションつえー】



【高野山。奥の院までの杉並木のまわりには無数の墓所がひろがります。】



【何の願掛けなのか?切株が一円玉だらけ!】



【苔むした石灯籠がたまらない雰囲気をかもしていました】



【目にもまぶしい吉野の桜!】



【ザッツ吉野な風景】



【すこーし過ぎてたけど、まだまだピンクの山腹は圧巻】



【この桜吹雪が目にはいらぬか!】



【桜のトンネルの間を楽しげに歩くお客さんたち】



【どこぞのおばあちゃんたちもまったりうっとり…】



【道ばたのしだれも見事でしたよ】



【嘘みたいにいい天気。ピンクと青がお互いに映えて最高です。】



【すぐ下をみおろすと民家が見えました。なんて幸せ者…】



【もう何も言葉は必要ないでしょう】



【歯がため地蔵尊。歯をじょうぶにしてくれるんですって。御祈祷済み歯ブラシとか売ってました。なぜかすごく親近感が…】

怒涛の花見週間、締めくくりは奈良の飛鳥・吉野、そして和歌山は高野山でした。
どこも、素晴らしかったです!

初日の昼は奈良県明日香村。
くどいですが聖徳太子好き(日出る処の天子が好きだからでしょ?と現地駐在中のY氏にすぐさま見抜かれてしまいました。さすが…そういうお客さんが多いんでしょうね)の私としては、「右手に見えるあまかす山には、もともと蘇我の大きな館が立っていたんですよ〜」等のガイドさんの案内にいちいち心の中で狂喜乱舞でした。
また、素晴らしいお天気で、いかにもイメージ通りというかイメージ以上に「飛鳥」なたたずまいの里の中に、美しい桜のピンクと菜の花の黄色が映えて映えて、何これ、極楽?てくらい気持ちよかったです。

夜は、いわずとしれた真言宗の総本山高野山。
何となく禅宗の方がなじみ深い感じがするので、山岳密教なんていまいちピンとこない、てのはあるのですが、巨大な金ピカ大日如来像とか、曼荼羅図とか、インドの仏教と通じるものを感じてこれはこれで感激しました。
高野山が、幽玄の山の中にたたずむお寺ではなく、ほぼ小さな町のような集落になっている!ということを知ったのも驚きでした。
沢山の宿坊やお店や民家や、大学まであって、伽藍から奥の院まで歩いたらかなりの距離。
山の上に点在する厳しい修行の場を思い浮かべていたとしたらだいぶイメージとちがってびっくりするかもしれません。
奥の院のその奥には、弘法大師(空海)のご廟があります。
そして、院の敷地入口から廟まで続く参道沿いには、そうそうたる歴史的人物の墓石が連なっているのです。
1000年の長い歴史の中で、幾多の人たちが、この日本の原始的な仏教の二大柱のひとつである高野山という霊場に思いを馳せ、死後の世界での居場所を求めてきたのか、ということを感じさせられました。
何かやはり、圧倒的なものを感じました。
霊的なものを感じ、家族の菩提を弔う気持ちは、多かれ少なかれすべての人間が共有しえる感覚なのではないでしょうか。
そういう意味で、ここはある意味もっとも、そこに名を刻まれている過去の歴史的重要人物たちと、今に生きている私が心を通わしやすい場所だったかもしれないです。

その夜の宿坊は、精進料理がめちゃくちゃおいしいし、部屋にはこたつあるし24時間入り放題の天然温泉だし、そんじょそこらの旅館よりもよっぽど心地よく、嬉しいような悲しいようなでした。
でも、精進料理めっさおいしかった…あれはもう一度食べたい…

翌日は朝から吉野へ。
この時期の土曜日ですから、もちろん、大混雑です!
かなり遅れての到着で、滞在時間を削らなければならなかったのが辛いとこでしたが、吉野の下千本、中千本の桜は、ちょうど満開をほんのちょっと過ぎたくらいで、ほぼ見ごろ!
お天気も、ぽかぽかを通り越して暑いくらいに絶好調で、かなり楽しい散策となりました。
普段はどうか知りませんが、この桜の時期の吉野のにぎわいようといったら、浅草や江ノ島や清水や色んなものを全部足したような浮かれっぷりです。
桜は素晴らしく、地元のおいしいものがたくさん売っていて、神社やお寺など道すがら立ち寄れる遺産が色々あって、ここは一生に一度は来なきゃ損だ!と思いました。
人ごみの辛さをさっぴいても、桜の時期の吉野は良いです。
外国人にもぜひとも進めたいと思いました。
また、ゆっくり訪れてみたいところです。
この山も、役行者が修験道をひらいたところであり、後醍醐天皇が南朝をおいたところであり、松尾芭蕉も訪れたところであり、歴史の舞台に何度も登場しているところです。

飛鳥でも、吉野でも思いましたが、やはり、奈良は奈良で、京都とは違った、古の都の風格があるなぁ、と感じました。
どちらを向いても、パワーみなぎる山々に囲まれ、里の風景は美しくて、ここに人が魅せられ、信仰が生まれ、大勢の人間が集まる集落として栄えていったのはとても自然なことのように思えました。
京都よりも、もっと根源的な、日本人の心のあり方を垣間見たような気もしました。
…というほど、ゆっくりしっかりひたっている暇もなかったのですけど、今思えば奈良独特の迫力の中にそういうものを感じ取ったのかなぁ、と思います。

吉野山を降りて、次の又兵衛桜を目指して移動する道中、えもいわれぬ美しい里を通り過ぎました。
ガイドさんも初めて通ったとのことで、名前も何も分からなかったのですが、近くまで迫ってきている山並みをバックに、田畑や古い家並みの里の風景が広がり、その中に絶妙なバランスで満開の吉野桜が点在しているのでした!
お客さんもガイドさんも私もしばし車窓から風景にみとれました…
おりることも、名前を知ることもできなかったんですが、あれは一体どこだったのだろう。
人ごみもなく、ある意味このツアー一番のハイライトかも?とガイドさんも興奮するほどの美しい風景でした。
当然写真も残っておらず残念です。いつかあの場所を突き止めたいものですが。

桜は、それひとつだけでも美しいものです。
家の近くに咲いている桜も、すごく魅力的で、近くをとおるときは見惚れてしまいます。
けれどもやはり、歴史に名高い桜の名所には、本当に本当に桜が似合うもんだなぁ、とこのお花見週間を終えて実感しました。
そういうところに咲いている桜は、ただきれいなだけじゃなくて、時に気高さに圧倒されたり、時に見ているこちらを昔の和歌の時代にまで引き戻してくれたり、華やかさとはかなさが同居する桜の魅力を最大限に発揮していました。
おかげでこれまでそこまで特別桜に興味がなかった私も、ようやくまっとうな?桜ファンになれた気がします。

来年、関西方面でのお花見を検討する方は、JR東海ツアーズはけっこうおすすめですよ!
悪口は伏せ字で書くけど 笑 褒めるなら旅行会社の名前出してもよいよね。
ここのはわりとツボをこころえていて、お客さんの気持ちを考えて組んであると思います。
今回の関西方面桜ツアー、近江も京都も奈良も和歌山も全部ここのツアーでした♪

これでしばしまた国内を離れます…
今週末から5月にかけては3連続で中国…
う、うれしいような、悲しいような。トイレがやだーー


桜の京都だより



【南禅寺】



【インクライン。雨と桜の組み合わせも悪くない…でも寒かった】



【上賀茂神社。御所桜というしだれが満開!】



【醍醐寺。も〜こんなんじゃ全然伝わらないくらい凄かったのだ。ずっと『桜の競演』という言葉がちらついていた】



【ベタだけどやっぱいいんだよ、この角度が〜】



【半木(なからぎ)の道、という賀茂川沿いの遊歩道。紅しだれ桜のアーチがみもの。まだ少し早かった…】



【二条城。黒書院かな?ここでは桜よりも板とか金属とかの方がよっぽど気になっていました。木目がたまらない】

はい。
怒涛のお花見週間が終わりました!

4月一週目から2週目にかけては、連日新幹線で関西方面へお花見に。
桜見まくりました。古都の歴史感じまくりました。

京都は、去年の1月以来1年ぶりくらいでしたが、やっぱり良いところでした。
バスでの移動となると、町並みの中のちょっとしたいい感じのお店とか、素敵な路地裏とかにわけいっていけないので物足りない、てのもあるんですけど、下車観光するところはどこも素敵で、また、車内で地元ガイドさんの説明を存分に聞けるので、あれはあれでけっこう楽しいもんだ、ということが分かりましたよ。
この時期なのでどのツアーもお花見がメイン!
自然のことなのでぴったりタイミングが合うのはなかなか難しいですけど…

今年の「そうだ、京都いこう」キャンペーンにもなっております、醍醐寺の霊宝館の桜!
満開の清水寺!
やぶぁいですね。
さすがでした。感動しました。生命力に溢れすぎててまぶしかったです。
「桜を見ないと春が来た気がしない」って日本人も多いんだと思うのだけど、私の中で桜ってそこまで重要なポジションにはなくて、まぁ、見れればもうけもん、くらいの存在だったのですが、醍醐寺の桜とか見ちゃうと、春になったらアレが見たい!と思う人の気持ちが分かりますた。
まじで、おすすめ!
でも…まともなカメラを持っていけず、大した写真がなくてまことに申し訳ないです。
是非、来年、何とか時間を作ってみなさん京都へ足を運んでください。
春の醍醐寺は、さすが、秀吉がお花見の宴を催したところだけあります!素敵だよ!

そのほかにも、南禅寺、インクライン、上賀茂神社、二条城など桜の名所をたくさんまわらせていただきました。

中でもツボだったのは、二条城…の桜ではなく二の丸御殿でした。
城の主要な居室が現存しているところって、他になかなか無いのでなくて?
だから世界文化遺産にも登録されているのだろうけど。
「おーここに後水尾天皇が〜」とか
「へ〜ここで慶喜が大政奉還を〜」とか
「あ〜家光って、日光東照宮と同時にこっちでは城の整備をしてたのか〜家光って、あんまり表だって言われてない気がするけど、実はかなりものすごく日本の文化遺産に貢献してるんじゃないか?」とか
江戸時代にどっぷりつかれて武士好きにはたまらない空間です。
鴬張りの廊下も、音自体は別にどうでもいいんだけど、あの板の感触がたまらない。
長押にいちいちついてる葵ご紋の金の金具もたまらない。
なぜだろう。何もかもがたまらなくて、楽しすぎて、結局御殿の中に長居しすぎて私だけは二条城の桜見ずじまいでした!

うーん、悔しいけど、皇居より二条城の方が100倍楽しいよ。
皇居なんて庭しかないじゃん。どうせ中入れないんだもん。まわり歩いても、ねぇ。
浅草の仲見世より清水坂の方がよっぽど楽しく感じるし、やっぱり古都1000年以上にわたる歴史にうらづけられた迫力にはかなわないな、と東京のことを少ししょっぱい気持ちで顧みたりしました。
外国人案内するとしたら、東京では渋谷原宿秋葉原お台場とかだけ行っといて、寺社仏閣城については全部関西行ってからにしときな!とすすめたい。
やはり、大空襲の被害に合わなかった、というのはすごいことなのね…

そして、どうでもいいのだけど、何となく、神社よりもお寺の方が好き…?ということに気づいてきました。
なんだろうな。
やっぱ、仏像が見える方が面白いからだろうか。
聖徳太子とか武士が仏教寄りだったからだろうか。


くのいちへの一歩



【油日神社。椿もきれいでした】



【油の缶がたくさん積まれておりまする】



【太郎坊宮の本殿前から岩山を見上げます。いかにも、修験道…な感じ!ご神体にぴったりの山ではありませんか】



【太郎防宮本殿前からの眺め!どこまでも広がる里の風景に感動です。】



【聖徳太子創建の教林坊にて。太子像です。】



【遠州作の庭を、掛け軸に描かれた山水画のように眺めることができる出窓。素敵すぎじゃない?】


ずいぶん前に、いずれ忍術を習いたいと思って以来、なかなか手をつけられずに2年くらいたってしまいました。
月8000円の月謝と、道場に通う「定期的」スケジュール調整の難しさ、という2つのネックゆえ。

けれども忍者への夢は捨てきれず、いつか忍びの里へ…と思っているうちに、お仕事でそんなチャンスが舞い込んできました!

忍びの里として有名な二大スポットといえば、伊賀と甲賀ですね。
松尾芭蕉リスペクト、かつ、いつもお世話になっている美容師さんが伊賀出身、という理由により、何となく伊賀の方が親しみを感じていたんですが、今回訪れたのは、現滋賀県南部に位置する、甲賀のあたりでした。
(ちなみに甲賀、これ「こうが」じゃなくて「こうか」って読むのが正しいんですってよ。)

今回のツアー、タイトルは「近江『かくれ里』に導かれて」です。
「かくれ里」!いかにも忍者がかくれていそうな名前!
ですが、実際には、白州正子の書いた紀行文のタイトルなのでした。
最近、NHKのドラマで白州次郎がとりあげられたり、この夫婦のことがとみに注目を集めている気がします。
白州次郎は、戦後GHQ占領下の日本にあって、ただ一人、日本人ばなれした迫力でマッカーサーと渡り合ったと言われている人で、その奥さんである白州正子は、素晴らしい審美眼を持った随筆家として戦後多くのエッセイや紀行文を残して有名になった人です。
どちらも外国暮らしの経験があり、夫婦の会話をわざわざ英語でするような西洋かぶれで都会的なカップルだったにもかかわらず、第二次世界大戦中、戦火を逃れ食糧を確保するという実をとるために、迷わず当時ど田舎だった町田のあたりに居を構え、自ら畑を耕して百姓生活をしていました。
その時の家、武相荘、が今も残されており、ひそかに有名な観光名所として時々ツアーの中にも組み込まれていたりするのです。

ちょうど新聞に武相荘の記事が出ていたり、くだんのドラマを見たりして、何となく2人のことが気になっていたところにこのお仕事。
とっても嬉しかったです。

さて、その「かくれ里」というのはどんな本かというと、書かれたのは、新幹線や高速道路が整備され、ちょうど大型バスでの紋切型観光ツアーが主流になりつつあった時代。
そんな世の中の風潮にいくばくかの反発を覚えた白州正子が、幹線道路の横道にそれて誰も訪れないような里に分け入っていくと、そこに本当の歴史があり、美しい伝統や風景が残っている、ということを発見しエッセイにまとめたものです。
「観光地」の裏にひっそりとかくれている、誰も知らない本物の土地「かくれ里」。
その中のひとつとして、甲賀周辺も彼女のお眼鏡にかない、その本に名前を連ねることになったわけです。
今回は、その本の中に登場した油日神社(あぶらひじんじゃ)、礫野寺(らくやじ)、石塔寺(いしどうじ)、太郎防宮(たろうぼうぐう)、教林坊(きょうりんぼう)の5箇所を回るというツアーでした。

はっきり言ってかなり珍しい、相当なマニアックツアー!
ベテランのガイドさんですら、「こんなところツアーで案内したところ無い!」と言うほどのマイナーな場所を次々に回って行きました。

私もかくれ里を全部読み終わっていたわけではないのですけど、その言葉の響きと、甲賀にのりこむドキドキ感と、そして極力観光地化していないひっそりとした寺社仏閣が大好き、ということでかなり期待していたのですが…
どちらも、期待どおり、いやそれ以上に魅力的なところで、とっても満足しましたよ!

油日岳をご神体として山の麓に立っている油日神社のしずかなたたずまい。
そこに保管されている面が有名なのですが今回それを見ることはかないませんでした。
それでもなかなかどうして!長い時間をかけて土地の人たちの信仰心を請け負ってきた社の責任感というか、小さいながらもどっしりとした存在感と、いい感じに朽ちてそれがますます魅力に磨きをかけている古めかしい建物の表面にドキドキです。
「油日」の名前ゆえ、油の缶がたくさん奉納されているのもまたおかし、でした。

そしてあまりの素晴らしさに言葉を失ったのは、太郎坊宮本殿前からの眺め。
太郎坊山という岩山の上にまつられている阿賀神社は、聖徳太子の時代から霊験あらたかと言われ、修験道の場としても栄えたり、これまた山ごと長い間信仰を集めてきたところです。
里の中に突然ぽっかりうかぶ岩山の山腹にある本殿をめざし、駐車場から200段ほどの階段をのぼっていくのですが、岩山自体のパワーもさることながら、のぼりきったところから眼科に広がる東近江市の田畑や家並みがあまりに素敵で!
お客さんもみなさん、とっても嬉しそうにしてらっしゃいました。
ここはほんとうにありがたい感じがした。

そして最後に訪れた教林坊。
聖徳太子が創建し、ご本尊もなんと太子が自分で彫った(と言われている)小さな石仏。
もう摩耗してしまって形は曖昧ですが、それがかの有名な小堀遠州(二条城の庭園とかもデザインした人)によるこじんまりとしながらも美しい石庭の中に埋もれるように立っていて、とてもとても良いのです。
駐車場から坊の入口までの小道がまたいかにも「これ普通絶対ツアーで来ないだろ!」て感じの歩きにくい道で、お客さんは苦労していたけど私は一歩歩くごとに「わぁ〜★」と感動しておりました。
ここは特に、もう一度訪れたいところ!

そしてまた、その土地自体がいいのです。
歴史の表舞台には登場せず裏の世界を請け負ってきた里ならではの、わびしい感じ自体が何とも…たまらないのでした!

うーん、伊賀も良さそうだけど甲賀もいいわ、とこれは認めざるを得ないですね〜。
ツアーなのでそれぞれをゆっくり見ることはできなくてとても残念だったけれど、発見させてもらえただけでもすごくうれしい。
またひとつ、好きな場所が増えたことをとても幸せに思います。



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