今日帰りにたちよった本屋で、とある写真雑誌を立ち読みしていたら、たぶん中学の同級生と思われる男の子が、新進気鋭の写真家としてしっかりフィーチャーされていた。
あまりにも長い事会ってないし、在学中もほとんど喋った記憶無いけど、同い年、東京出身、おぼろげに覚えている見た目の特徴はうっすらと残っている、ということでたぶん本人。
たしか今でも仲良い女友達が当時彼のことを好きだったような…
とどうでもいい想い出と同時に、勉強がすごいできるというわけではなかったけど何となく知的な雰囲気が漂う中学生にしては珍しく紳士的な感じの人ってイメージだったような?ということを思い出した。
彼の写真は、買って家に置いておきたい、とは思わないけれど、何度も見てみたい、と思わせるものだった。
彼の撮ろうとしているものは私もすごく興味があるものだった。
すごーく大きく引き延ばしたのを見てみたい、と思った。
植物園と、火山を撮っているんですって。
最も好きな写真家にはなりえないけれど、好きな写真家リスト上位に間違いなく入って来るタイプの写真だった。
彼のその後のことなんて全然気にかけてなかったけど、私と全然違うルートで、私よりもずうっと早く写真と出会い、私よりもずうっと早く写真界でしっかり認められちゃっていたとは!
素直に、
悔しーーー!!!!!
と思いました 笑
きー悔しーーーーー!!!!!!!!!
(ハンカチを噛んでる感じで)
でも、いつか、彼と同じように写真雑誌でフィーチャーされるような写真家になりたいのか?と言われたら、別にそういうわけではないような気がする。
家族とか、食べることとか、自然の中で感じる喜びとか、旅をするとか、そういうものが人生の中心にあって、写真はそれと社会とをつなげてくれる媒体としてきちんと機能してくれればそれで充分、と本当にそう思っているから。
でも問題は、媒体としてすらまだ、使いこなせていないのが現状ってことだ。
自分で自分の写真を「好き」とはつくづく思うのだけど、それをどうやって自分の気持ちとつなげてひとつの作品群にしたらよいか分からない。
つまり、「これこそあたしにしか撮れない写真です」というのを数枚選ぶとしたら、どれを選べばよいか、自分でまだよく分からない。
したたかに計算して撮ったものとか、あまりにも適当に撮ったものとか、「え、それが?」ていうのがやたら誉められたり、これは好き!と自分で思っているものがスルーされたり。
でも彼は、少なくとも自分にしか撮れない写真が何者であるかを、私よりはずっと良く知っている。
そういう意味で私の一歩も二歩も先を行っていることは明白で、それを思うと、やっぱり、悔しい!と思わざるを得ない!
そしてなぜ彼が私より一歩も二歩も先を行っているのかも明白だ!
それは、写真と一緒にいる年月!そして撮った枚数!
だよな?コレ以外の答を私は未だ知らない。
それ以外にあるなら誰か教えて欲しい。
だとしたら、撮りさえすればそんなことは自ずと分かって来るはずで、分かりさえすれば私は満足できる。
それだけのことじゃん!もっと撮ろ!
最近日常生活の中でカメラを持ち歩くってことをほとんどしていなかったんだ。
はじめは意識的にしていなかったのが、いつの間にか癖になっていた。
いつかまた時がくれば持ち始めるだろうと思っていたのが、きっと今なんだ。
悔しいけど、きっかけをくれた元同級生(たぶん)の君に感謝。
いつか追いつくわ!