先日、酒の席で、初対面の神戸大COEよっちゃん(30代男)が、うちより3つくらい年下の男の子に向かって酔っぱらい人生論を展開していたとき、
よっちゃん「人間は、絶望を乗り越えなきゃほんとの幸せは手に入らないんだよ!」
27才女子達「うんうんうんうん」(はげしく頷く)
25才男子「俺幸せやけど絶望なんか味わったことないですよ」
よっちゃん「違うんだよ、その幸せと、絶望を乗り越えた後の幸せは全然違うもんなんだ。見てみろこの2人、絶望を乗り越えた人間ならではの、お前にはない何かが醸し出されてるだろ!」
って、あたしら絶望「使用後」サンプルかい!!!
そんなに醸し出してるつもりはなかったんだけど。初対面のくせに。。。
悲しむべきなのか、喜ぶべきなのかよく分からないけど、
なんとか好意的に受け止めてみよう。
絶望は孤独でしょ。
孤独を知るってことは、自分のことをこの世界の誰1人も本当のところは分かってくれないんだ、て気づくことでしょ。
それって、最初は辛いけど、そういうもんだ、て腹括っちゃえば、逆に、誰も私の状況を完全に想像できないのと同じように、自分の想像の範疇をこえたような色んな辛さを抱えて、みんな頑張って生きてんだなぁ、てことに気づけて、そういう中でも、自分と仲良くしてくれたり優しくしてくれる周りの人達の存在を、すっごくありがたく感じるようになるよね。
この「自分の想像の範疇を超えた経験を、相手がしてきたの『かもしれない』」て目で人と接する姿勢て、すごく大事なことだけど、絶望らしきものを通ってない人にはなかなか身に付かない気がする。
鼻持ちならないおじょうさん。昔の私もそういうとこあったと思うが。
相手の辛さを理解してあげるにも、相手の言っている自分にとっては突拍子もない話にどこまで耳を傾けられるかも、こういうとこにかかってると思う。
基本的には自分の経験したことでしか世の中をはかろうとしてしまうのが人間だから、だったら早いうちに絶望的な気持ちに一度かニ度なっといた方が、イマジネーションに深みが出るってもんだ。
だから、よっちゃんの言葉は好意的に受け取っておこう。
まさか幸薄そうとか、そういう意味では無かったということで。。。
そう、最近この「絶望越え」経験者と思われるタメ女子(ダメ女子に非ず)友達がちょっとずつ増えつつあり、何だか嬉しい。
昨日は、そのうちの1人(と勝手に失礼ながら推測)大阪のFちゃんと3時間以上長電話した。
最高記録4時間に次ぐ歴代2位の長さ!
滅っ多に長電話しないし、中でも、長時間話して時計見て「あ!こんなにたってるの?!」て思うくらい話が弾む人なんてほとんどいないから、そういう人に出会うと、嬉しいなぁ。
Fちゃんてば、私と一緒に「絶望越えの雰囲気を醸し出している」とよっちゃんから太鼓判を押されたNちゃんと旧知の仲で、先日2人で行った飲みの席で、年下の男の子に
「いかにもかよわそうな女子ほど強くて、うちらみたいないかにも強そうな女子ほどほんとはかよわいんじゃ!それに気づけるのがほんまのいい男や!」
と説教垂れてきたそう 笑。
親父の悲哀と同じ種類の愛おしさを感じて思わずキュンときました。
しかし、たしかに名言だよ、これ!!
名言と認定されるフレーズの質が、5年前とは変わって来た気がするな。
熟成、というか、適度に苦くて酸味も出て、薫製されたみたいになっとる 笑
年だね〜、も〜、とか言いつつも、実は嫌いじゃないです。