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ダジャレじゃないよ









岩や石には意思があるらしい。
(ね、だから、ダジャレじゃないよ)

太古の昔に体積した砂が、海の中で凝縮されて地殻変動で地上に現れ、長い間この土地を見守って来た、その年月の記憶が、まわりの生き物の心にあった様々な想いが、この石に何らかの意思を宿らせていても全く不思議でないと思う。
今回ウルル(エアーズロック)は2回目だったけど、岩肌に触れるとほのかに温かく、ただの無機質な「岩」という物質という風には割り切れない不思議な感覚を、1回目と同じように覚えた。

夏、このあたりの気温は40度を超える。
でも、私たちが訪れた2日間は、ラッキーなことにとても涼しく、最高気温30度をこえなかったように思う。
おかげで朝晩はすごく冷え込み、冬に訪れた時と同じような感覚だった。
強風のおかげで、登山道は閉鎖され、結局のぼることを楽しみにしていたお客さんも誰ひとり登ることができなかった。
お客さんの中にはがっかりしていた人も多かったけど、私はほっとした。
お客さんが全員登ったら添乗員も登らなきゃいけなかったんだけど、私はちっとも登りたくなかったから。

ここを神聖な土地と崇める先住民(アボリジニのアナング族)にとっては、観光客にもここを踏み荒らされたくないし、万が一の怪我や滑落死もしのびないし、できたら登って欲しくない、と思っている、ということをどれだけ聞かされても、それでも登りたい、と思う観光客の気持ちは、私にはやっぱり理解できないなぁ。。。
そこに山があるから、ってことなのか。。。
それだったらもっと他に登れる山いくらでもあるのに。
日本の山もご神体として畏れ崇められる対象であったわけだけど、同時に修験道の修行の場でもあって、山はもともと登って分け入ってそこで神懸かり的な体験をするための場所だったんだから、そこで山登りをするのは全然問題ないと思う。
でも、ここウルルは先住民が神聖な儀式をするための場所であって、先住民すら普段はほとんど登ることがなかったようなところ。
そういう話を聞いても、それでも登りたいって思う一般観光客の感性って、どうも想像力が足りなさすぎる気がする。
まぁそもそも、それを分かっていながら「登頂ツアー!」と銘打って客を募る旅行会社が悪いのよね!
その代表として来ている私としては、登って欲しくないのはやまやまだけど、登れたらいいですねー、みたいな態度をとらざるを得ないのが毎度心苦しいな。

キュランダはケアンズの近くにある熱帯雨林に囲まれた村。
町の真ん中にある小さな教会で見つけた、アボリジナルなステンドグラスが印象深かった。
グリーン島ではただひたすら、ベンチに座って書類を書いたり本を読んでいた。

オーストラリアは本当に、現地ガイドさんのレベルが高くて、現地の手配もきめが細かく、添乗員の仕事はイタリアの3分の1くらいしか無いように思う。
マイクを通してお客さんに話せる機会もほとんど無い。
楽なんだけど、何か物足りないくらい。。。
でも今回に限っては、そんな余った時間を、次の仕事の予習に当てられたのは、とてもラッキーだった。
核兵器廃絶を目指すオバマ大統領の軌跡を描き出す、NHKのお正月番組制作のお手伝いに向けて、オバマ大統領の自伝や、演説、関連記事などを読み漁った。
まだ読み終えてないけれど、彼の自伝は、思っていたよりもずっと面白く、そこらの物語よりもずっと読み応えがある。
単純に、「はじめての黒人の大統領」と思っていたけれど、実のところ「白人に対する黒人」というシンプルな構図ではなくて、彼自身、白人の母親とケニア出身の父親との間に生まれた自分の帰属意識について、かなり深く思い悩んでいたことが分かった。
また、母親の再婚相手とともにインドネシアで暮らした経験もあり、ハワイで白人の祖父母に育てられながら子供時代の後半を過ごし、大人になってからは人種差別の厳しいシカゴでオーガナイザーとして黒人コミュニティをまとめるため色々な目線、立場で生きる黒人や白人とふれあい、本当に色んな角度から、そして心からの尊敬に値するほど真面目に実直に、異種の人達がともに生きていくという現実がどういうことなのか、向き合ってきた人だということが分かった。
彼も完璧ではないだろうけれど、ものすごく信用できる人物だと思う。
彼のこれまでの人生を振り返ることで、私の心も澄み渡り研ぎすまされるような思いがした
色んな意味で、諦めずにいつまでも、そしてもっと頑張ろうと思えた。

帰りのJetstarで、うちのゆり(母)と同じ年くらいのおばさんと隣の席になった。
ちょうどさっき、ゲート前でうろうろ困っていて、搭乗開始の一時間も前なのに「まだゲートが開かない、、、」と焦っていたので「あと1時間ありますよー」と教えてあげたのと同じ人だった。
「あ、どうも先ほどは‥笑」という感じで自然とおしゃべりが始まった。
聞いてみると、娘さんがオーストラリアの人と結婚して、今回は出産前後のお世話のために70日もオーストラリアにいた帰り道なのだという。
それはそれは、、、この70日がどんなにか幸せな時間だったんだろう、と想像した。
そして同時に、今日の別れの瞬間がどんなにか悲しかったんだろう、と想像した。
「そりゃあもう悲しかったですよ〜」とおばさんはそのときは笑いながら言っていたけど、その後機内の映画を見ながら何度も涙をぬぐっていたから、もしかしたら映画の内容ではなくて娘さんのことを思い出して泣いていたのかもしれない。
私も、イギリスに行く日、見送りに来てくれた家族と成田の2タミの出国ゲート入り口で抱き合ってわんわん泣いた時のことと、イギリスに遊びに来たゆり(母)と1週間過ごして、日本に帰る日ヒースローで見送った時の別れ際のことを思い出すと、未だにあの時の胸がはりさけそうな気持ちを思い出して涙が出るくらいだから、このお母さんの寂しさはいかほどかと思った。
(たった1年の留学ですらそんなんて、ちょっと恥ずかしいけど 笑、本人達は、「もしかしたらもう一生会えないかもしれない」て本気で思ってるからそりゃあもう悲しかったのさ)
成田について別れ際、そのおばさんが私に「せっかくのご縁なので‥‥」とメモを渡してきた。
それは歌をうたっている娘さんのHPのURLだった。
今回2人目を出産したというその娘さんは、17歳の時に単身アメリカにわたって、ジャズシンガーになろうと色々アルバイトをしながらお金を貯めてライブをし、その後ブラジリアンに転向したものの、今も仕事をしながら歌い続けて来年3月にCD発売が決まったんだそうな。
早速家に帰って、webで試聴してみると、落ち着いたいい声で、メランコリックできれいなブラジルの音楽に何とも合うなかなか素敵な歌声。
写真の顔もお母さんにそっくりで、「我が娘ながら、本当に頑張ったな、て応援してるんです」と誇らしげに語っていたおばさんの顔を思い出した。
思いがけず、素敵な出会いになりました。

毎度、飛行機の中での出会いはあなどれません。


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